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大阪地方裁判所 昭和45年(ワ)2795号 判決 1972年9月30日

原告

渡辺益雄

被告

吉岡仁志

ほか二名

主文

被告吉岡仁志、同神和自動車整備工業株式会社は、各自原告に対し、金三、二八六、五九八円およびこれに対する被告吉岡仁志については昭和四五年一〇月九日から、被告神和自動車整備工業株式会社については同月八日からそれぞれ支払済まで年五分の割合による金員を支払え。原告の被告橋本一郎に対する請求および被告吉岡仁志、同神和自動車整備工業株式会社に対するその余の請求を棄却する。

訴訟費用中原告と被告橋本一郎間に生じた分は原告の負担とし、原告と被告吉岡仁志、同神和自動車整備工業株式会社間に生じた分はこれを三分し、その二を原告の負担とし、その一を被告吉岡仁志、同神和自動車整備工業株式会社の負担とする。

この判決は原告勝訴部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

(原告)

一  被告らは、各自原告に対し、金一三、〇六八、二六六円およびうち金五、一八八、六八一円に対する被告吉岡仁志については昭和四五年一〇月九日から、被告橋本一郎、同神和自動車整備工業株式会社については同月八日から、うち金七、八七九、五八五円に対する昭和四七年七月一二日からそれぞれ支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決および仮執行の宣言。

(被告ら)

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決。

第二請求の原因

一  事故

原告は、次の交通事故により傷害を受けた。

(一)  日時 昭和四二年五月二七日午後九時三〇分ごろ

(二)  場所 大阪市東淀川区北江口町四一一番地先交差点

(三)  加害車 普通乗用自動車(大阪五の九四一〇号)

右運転者 被告吉岡

(四)  被害車 自転車

右運転者 原告

(五)  態様 被害車が北西から南に向つて進行中、加害車が北東から北西に向つて進行してきて衝突した。

二  責任原因

(一)  運行供用者責任

被告橋本は、加害車を所有し、自己のため運行の用に供していた。

(二)  使用者責任

被告神和自動車整備工業株式会社(以下被告会社という)は、自己の事業のため被告吉岡を修理工として雇用し、同人が被告会社の業務の執行として加害車を運転中本件事故を発生させた。

(三)  一般不法行為責任

被告吉岡は、運転免許がないのに加害車を運転し、前方を注視すべき注意義務を怠つた過失により、本件事故を発生させた。

三  損害

原告は、本件事故により、次の損害を蒙つた。

(一)  治療費 三四五、六〇〇円

原告は、本件事故により、頭部外傷第三型、むちうち症、眼筋まひの傷害を受け、昭和四二年五月二七日から昭和四四年八月六日まで吹田病院で、同月一五日から昭和四七年六月三〇日まで山内医院で治療を受け、その間五三日間入院したが、六級に該当する後遺症が残つている。原告は、右治療費として吹田病院に二三九、九一一円、山内医院に一〇五、六八九円合計三四五、六〇〇円を要した。

(二)  雑費 七〇、〇〇〇円

(三)  通院交通費 七五、〇〇〇円

(四)  休業損害 四、二七〇、〇〇〇円

原告は、事故当時食堂を経営し、月平均七〇、〇〇〇円の収入を得ていたが、本件事故による受傷のため昭和四二年五月二七日から昭和四七年六月末まで休業を余儀なくされ、一ケ月七〇、〇〇〇円の割合による六一ケ月分合計四、二七〇、〇〇〇円の収入を失つた。

(五)  将来の逸失利益 五、五三四・七六〇円

原告は、昭和四七年六月末当時六一才で、将来七、二年就労可能であるから、原告の将来の逸失利益を、月収七〇、〇〇〇円とし、年毎のホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると別紙計算書(1)記載のとおり五、五三四、七六〇円となる。

(六)  慰謝料 三、〇〇〇、〇〇〇円

(七)  弁護士費用 一、〇〇〇、〇〇〇円

(八)  損害の填補 一、二二七、〇九四円

原告は、本件事故による損害賠償として被告吉岡から八七、〇九四円、自賠保険金一、一四〇、〇〇〇円合計一、二二七、〇九四円の支払を受けた。

四  よつて原告は、被告ら各自に対し、前記三(一)ないし(七)の合計金一四、二九五、三六〇円から前記三(八)の金一、二二七、〇九四円を控除した金一三、〇六八、二六六円およびうち金五、一八八、六八一円に対する本件訴状送達の日の翌日である被告吉岡については昭和四五年一〇月九日から、被告橋本、同被告会社については同月八日から、うち金七、八七九、五八五円に対する昭和四七年七月一二日からそれぞれ支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三被告吉岡の答弁

一  請求原因第二一の事実は認める。第二二(三)の事実中被告吉岡は運転免許がなかつたことは認めるが、その余の事実は否認する。第二三の事実は否認する。

第四被告橋本の答弁および主張

一  請求原因第二一の事実は認める。第二二(一)の事実中被告橋本は、加害車を所有していたことは認めるが、その余の事実は否認する。第二三の事実は不知。

二  被告橋本は、二男の光久を通じて自動車修理業者である被告会社に加害車の修理を依頼し、被告会社の従業員で修理工の被告吉岡に加害車を引渡したものであるから、加害車の運行供用者としての責任を負わない。

三  原告は、無灯火で自転車に乗つていた過失があるから、原告の損害額算定について過失相殺されるべきである。

第五被告会社の答弁および主張

一  請求原因第二一の事実は不知。第二二(二)の事実中被告会社は、被告吉岡を修理工として雇用していたことは認めるが、その余の事実は否認する。第二二(三)、三の事実は不知。被告吉岡の加害車運転行為は被告会社の業務外の行為である。

二  原告は、当初被告を神和自動車整備工業株式会社こと大橋政子として訴を提起したが、その後被告を神和自動車整備工業株式会社と訂正したものである。しかし被告会社は、右訂正について異議があり、かかる訂正は許されないから、被告会社に対する訴は不適法である。

三  仮に被告会社に対する訴が不適法でないとしても、その訴提起時は原告が右訂正を主張する上申書と題する書面が陳述された昭和四六年二月一日というべきであり、原告の被告会社に対する損害賠償請求権は事故時から三年の経過により時効により消滅したから、これを援用する。

第六被告橋本および被告会社の主張に対する原告の認否および主張

一  被告橋本主張の第四二、三の事実は否認する。被告橋本は、被告吉岡と親しくしていた関係から、被告会社まで加害車をもつていくことおよび修理が終つたら被告橋本方までもつてくることを被告吉岡に依頼していたものである。従つて被告吉岡の加害車の運行は被告橋本のためになされたものというべきである。被告会社主張の第五二、三の主張は争う。

二  原告は、本訴提起当時被告を神和自動車整備工業株式会社として表示していたが、その後その工場のある摂津市内にかかる注人の登記が存在しなかつたので、被告の表示を一旦神和自動車整備工業株式会社こと大橋政子と訂正した。ところが昭和四五年一二月一七日に被告大橋政子の代理人からの答弁書により、右会社が法人として存在することが判明したので再び被告の表示を訂正して被告会社としたものであるから、本件訴は当初から被告会社を相手として提起されたものというべきである。

三  仮に右主張が認められないとしても、原告は、被告会社が被告吉岡の使用者であることを知つたのは昭和四六年一月一九日に被告会社の登記簿謄本の交付を受けたときであるから、被告会社に対する損害賠償請求権の消滅時効の起算日は同日である。

四  原告は、本件訴提起時には完治しておらず、その後も損害が継続的に発生しているから、昭和四三年二月一日以降の損害については消滅時効は完成していない。

第七証拠〔略〕

理由

一  被告会社に対する訴の適否

被告会社は、原告が当初大橋政子を被告として提起し、その後被告会社を被告とする旨訂正したが、右訂正は許されないから、原告の被告会社に対する訴は不適法である旨主張するのでまずこの点について判断する。

〔証拠略〕によれば、原告訴訟代理人は、昭和四五年五月二六日、被告として摂津市大字鳥飼中四五六番地神和自動車整備工業株式会社「右代表者代表取締役大橋政子」と表示した訴状を裁判所に提示したが、訴提起時には右被告会社代表者の資格証明書がなかつたので、これを後日追完することにして訴状を受理されたこと、原告訴訟代理人は、その後資格証明書の交付を受けようとしたが、被告会社の工場の所在する摂津市には被告会社の登記が存在しないことがわかつたので、被告会社の法人としての設立登記が存在しないものと判断し、被告の表示を被告会社から大橋政子個人に訂正する旨の上申書と題する書面を裁判所に持参したところ、係書記官から本件訴状は未だ被告に送達されていないから、訴状の記載を訂正すれば足りる旨の示唆を受け、訴状中の被告の表示を「神和自動車工業株式会社こと大橋政子」と訂正したこと、右訂正された訴状は同年一〇月七日、大橋政子に送達され、同年一二月一七日、同人の訴訟代理人から、被告会社は法人として実在する旨の答弁書が提出されたこと、そこで原告訴訟代理人は、再調査の結果、被告会社の登記簿謄本の受付を受け、昭和四六年二月一日、被告の表示を「大阪市北区兎我野町三三番地神和自動車整備工業株式会社代表取締役大橋政子」と訂正する旨の上申書を提出したこと、被告会社の右本店所在地には被告会社の営業所は存在せず、電話帳では被告会社の営業所として訴状に記載された摂津市大字鳥飼中四五六番地と表示されていたことが認められる。

以上の事実によれば、原告は、当初から被告会社を被告として本件訴を提起したものであり、訴提起後被告会社が法人としての登記がなされていないものと考えて一旦被告会社こと大橋政子を被告とする旨の訂正をし、更にその後に再び被告の表示を被告会社とあらためたことによつて、当初被告会社を被告として提起した本件訴が不適法となるものということはできないから、被告会社の右主張は理由がない。

二  事故

〔証拠略〕によれば、請求原因第二一の事実が認められる。(原告、被告吉岡、同橋本間では右事実について争いがない)。

三  責任原因

(一)  被告吉岡

〔証拠略〕を綜合すると、本件事故現場は北に通ずる車道の幅九・六メートルの道路と北西に通ずる車道の幅七・五メートルの道路と南に通ずる幅八メートルの道路(江口橋)との交差点内で、信号機による交通整理が行われていたこと、被告吉岡は、昭和四一年九月以降運転免許を有し、時々自動車を運転していたが、昭和四二年四月一日ごろから運転免許の更新手続をしてなかつたため、運転免許がなくなつていたこと、被告吉岡は、加害車を運転して北から南に向つて進行し、交差点内の北側の横断歩道の手前で信号待ちのため一時停止し、交差点の南東角にある北西から南に進行する車両のための信号が青にかわつたのをみて、交差点の南西角にあつた北から南に進行する車両用の信号が赤であるのに、発進し、北から北西に向つて右折して時速約一五ないし二〇キロメートルで北西に向つて進行中、北西から南に向つて進行中の被害車を約一・八メートル前方に始めて発見し、ブレーキをかけたが及ばず、加害車の左前部を被害車に接触させて転倒させたこと、原告は、被告車を運転して交差点の北西からの入口手前で停止し、北西から南に向う車両用の信号が青になつたのを確認して発進し、北西から南に向つて進行中本件事故が発生したこと、原告の運転していた被害車は当時無灯火であつたことが認められ、右認定を左右しうべき証拠はない。以上認定の事実によれば、被告は、加害車を運転中、信号機の表示する信号に従つて進行し、かつ信号に従つて進行していた被害車の進行を妨げないようにするべき注意義務を怠り、自車の道路の信号が赤であるのに発進して右折を始めた過失により本件事故を発進させたものと認められるから、不法行為者として、原告に対し、本件事故による損害を賠償するべき義務がある。

(二)  被告橋本

被告橋本は加害車を所有していたことは当事者間に争いがない。

〔証拠略〕を綜合すると、被告橋本は、加害車を二男の橋本光政に使用させていたこと、橋本光政は、友人の被告吉岡が自動車の修理を業とする被告会社に整備工として勤めていたので、被告吉岡に加害車の修理を依頼したこと、被告吉岡は、昭和四二年五月二七日午後五時すぎ勤務時間後に被告会社の同僚とともに、被告橋本方にきて加害車の引渡を受け、同日午後八時半ごろ被告会社の工場に運び、そこで修理をしたうえ、橋本光久に加害車を引渡すべく、加害車を運転中、私用を思い出してその用に赴く途中で本件事故を起したこと、被告吉岡は、橋本光久からの右依頼を被告会社に報告せず、被告橋本には修理の工賃も請求しないつもりであつたこと、被告会社では、自動車修理の依頼があつたときには従業員が自動車を引取りに出かけ、修理後に届けることもあつたこと、橋本光久は、加害車の修理に一週間位を要すると聞いていたので、事故当時修理が完了していて被告吉岡が引渡のために運転していたことを全く知らなかつたこと、が認められる。以上の事実によれば、被告橋本は、橋本光久を通じて被告吉岡に加害車の修理を依頼して加害車を引渡したことにより加害車の運行支配を失つたものであり、被告橋本および橋本光久が修理完了後に加害車を届けるように特に被告吉岡に依頼したことも、被告吉岡が加害車の修理完了後に被告橋本および橋本光久に修理の完了を告げて引渡の日時、場所を決めたことも認められないから、被告吉岡が修理完了後の加害車を被告橋本に届けるために運転していたからといつて、被告橋本が再び加害車の運行を支配するに至つたものと認めることはできない。従つて被告橋本は、加害車の運行供用者としての責任を負うものではなく、原告の被告橋本に対する請求は理由がない。

(三)  被告会社

前記三(二)の事実によれば、被告吉岡は、被告会社には無断で橋本光久の依頼に応じて加害車の修理をなし、これを橋本光久に引渡すため運転中本件事故を起したものであるが、被告会社は、被告吉岡を修理工として雇用しており(このことは原告、被告会社間に争いがない)、従業員に修理依頼を受けた自動車を引取りにいかせ、修理完了後の自動車を届けさせることもあつたこと、被告吉岡は、加害車を一旦被告会社の工場内に運び、そこで修理を完了した上加害車を運び出したことなどの事情が認められ、これらの事実をも合わせ考えると、被告吉岡が事故当時加害車を運転していた行為は、被告会社の被用者である被告吉岡の職務と密接な関連があり、客観的にみて被告会社の事業執行の範囲に属するものと認められるから、被告会社は、被告吉岡の使用者として原告に対し、本件事故による損害を賠償するべき義務がある。

四  損害

(一)  治療費 三四五、六〇〇円

〔証拠略〕を綜合すると、原告は、本件事故により、頭部外傷第三型、むち打ち症、眼筋まひの傷害を受け、昭和四二年五月二十七日から同年七月一三日まで四八日間吹田病院に入院し、同月一四日から昭和四四年八月六日までに二三七日同病院に通院し、同月一五日から山内医院に転医して通院を始め、昭和四七年六月三〇日までに八九日以上同病院に通院して治療を受けたが、頭痛、四肢しびれ感があり、視力が低下し、左眼は〇・〇一となるなどの後遺症状が固定するに至つたこと、原告は、右治療費として吹田病院に二三九、九一一円、山内医院に一〇五、六八九円合計三四五、六〇〇円を要したことが認められる。

(二)  入院雑費 一四、四〇〇円

原告は、吹田病院に四八日間入院したことは前記四(一)のとおりであり、右入院中一日三〇〇円の割合による四八日分合計一四、四〇〇円の雑費を要したことは経験則上明らかであるが、原告が右金額以上の雑費を要したことは認めるに足りる証拠はない。

(三)  通院交通費 一九、五六〇円

原告本人尋問の結果によれば、原告は、通院のため少くともバス代として一回に六〇円を要したことが認められ、原告は、吹田病院に二三七回、山内医院に少くとも八九回合計三二六回通院したことは前記四(一)のとおりであるから、一回につき六〇円の割合による三二六回分合計一九、五六〇円の交通費を要したものと認められる。

(四)  休業損害 九四五、〇〇〇円

〔証拠略〕によれば、原告は、事故当時五五才で、妻および長女とともに食堂を経営し、仕入、調理、出前などに従事して一ケ月三〇〇、〇〇〇円位の売上があり、利益としてその三割の九〇、〇〇〇円を得ていたが、本件事故による受傷のため、昭和四二年五月二八日から休業を余儀なくされ、以後全く就労していないこと、そのため食堂は原告の妻が長男の手伝を得て経営に当り、その収益は一ケ月約六〇、〇〇〇円に減少したことが認められ、原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は証人渡辺ことの証言に照らしたやすく措信し難く、他に右認定を左右しうべき証拠はない。以上の事実に前記四(一)の原告の傷害の部位、程度、治療の経過および期間を合わせ考えると、原告は、昭和四二年五月二八日から二ケ月間は労働能力を全く失い、その後昭和四七年六月末まで五九ケ月間は労働能力が半減したもので原告の労働能力の評価額は一ケ月につき三〇、〇〇〇円とするのが相当であると認められるから、原告の事故後昭和四七年六月末までの休業損害は別紙計算書(2)記載のとおり九四五、〇〇〇円となる。

(五)  将来の逸失利益 一、〇五七、三二〇円

前記四(一)の原告の部位、程度、後遺症の内容、程度および前記四(四)の原告の事故前後の営業状態、収入、年令などと合わせ考えると、原告は、昭和四七年六月末当時六〇才であり、本件事故がなければ将来七年間は就労可能であつたのに、本件事故による傷害の後遺症のため、労働能力が半減したものと認められるから、原告の将来の逸失利益を、労働能力の評価額を一ケ月につき三〇、〇〇〇円とし、年毎のホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると別紙計算書(3)記載とおり一、〇五七、三二〇円となる。

(六)  慰謝料 二、三〇〇、〇〇〇円

前記四(一)の原告の傷害の部位、程度、治療の経過および期間、後遺症の内容、程度を合わせ考えると、原告が本件事故によつて蒙つた精神的損害に対する慰謝料額は二、三〇〇、〇〇〇円とするのが相当であると認められる。

(七)  過失相殺

前記三(一)の事実によれば、本件事故発生については原告にも夜間無灯火で自転車を運転していた過失があつたものと認められ、原告の損害額算定についてしんしやくするべき原告の過失割合は一割とするのが相当であると認められる。

従つて原告の損害額は前記四(一)ないし(六)の合計四、六八一、八八〇円の一〇分の九の四、二一三、六九二円となる。

(八)  弁護士費用 三〇〇、〇〇〇円

本件事案の性質、審理の経過および認容額に照らし、原告が本件事故による損害として賠償を求めうるべき弁護士費用額は三〇〇、〇〇〇円とするのが相当であると認められる。

(九)  損害の填補 一、二二七、〇九四円

原告は、本件事故による損害賠償として被告吉岡から八七、〇九四円、自賠保険金一、一四〇、〇〇〇円合計一、二二七、〇九四円の支払を受けたことは原告の自認するところである。

五  時効

被告会社は、原告の被告会社に対する本件訴提起時は被告の訂正を主張する上申書と題する書面が陳述された昭和四六年二月一日であるから、原告の被告会社に対する損害賠償請求権は事故時から三年の経過により消滅時効が完成した旨主張するが、原告は、事故時から三年以内の昭和四五年五月二六日に被告会社に対して本件訴を提起したものと認められることは前記一のとおりであるから、消滅時効は中断しているというべく、被告会社の右主張は理由がない。

六  従つて原告は、被告吉岡および被告会社各自に対し、前記四(七)、(八)の合計金四、五一三、六九二円から前記四(九)の金一、二二七、〇九四円を控除した金三、二八六、五九八円およびこれに対する本件訴状送達の日の翌日であることが本件記録上明らかな被告吉岡については昭和四五年一〇月九日から、被告会社については同月八日からそれぞれ支払済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求めうるものであるが、原告の被告橋本に対する請求および被告吉岡、被告会社に対するその余の請求は理由がない。

よつて原告の被告吉岡および被告会社に対する請求は主文第一項掲記の限度でこれを認容し、被告橋本に対する請求および被告吉岡、被告会社に対するその余の請求を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条第一項本文、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 山本矩夫)

計算書

(1) 原告主張の将来の逸失利益

70000×12×6.589=5534760

(2) 休業損害

30000×2+30000×0.5×59=945000

(3) 将来の逸失利益

30000×12×0.5×5.874=1057320

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